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1999年3月 -だんご、宇多田、安室の時代-

こんにちはムネザワです。

さて僕は、むかし京都太秦のCDショップで雇われ店長をやっていました。お堅い食品会社から転職をして、音楽浸りの日々を送っていたのです。

そんな中で、ちょうど20年前の3月(1999年3月)にあった一連の出来事は、今でも忘れられません。

まず3月3日に「だんご3兄弟」が発売されました。

NHKの「おかあさんといっしょ」からブレイクした曲で、当時350万枚ともいわれるセールスを記録し、オリコン歴代シングルランキングで3位となった作品です。

(当時のパッケージ。時代は8cmシングルから12cmシングルへの過渡期でした)

NHKの「おかあさんといっしょ」からブレイクした曲で、当時350万枚ともいわれるセールスを記録し、オリコン歴代シングルランキングで3位となった作品です。

実は当時、「だんご?なんじゃそりゃあ」と不意打ちを食らったCDショップさんも多かったんですよ。

CDショップの仕入れ担当なんて、さぞかしリアルタイムの音楽情報に詳しいと思われそうですが、とんでもない。

僕の場合ですが、一日12時間勤務で週休一日半。そんな中でリアルタイムの音楽情報を収集するなんて、実は至難の業なんです。インターネットなんてそれほど普及していない時代です。当然、音楽雑誌の情報だけでは追い付きませmん。

毎日音楽番組を録画して、帰宅してから見まくるぐらいの情報収集をしない限り「この曲は化ける」なんて事は予想できないわけです。

そんな中で運が良かったのは、娘が2歳だったことでした。
家内が「だんごの変な歌が面白い。娘がハマっている」と言っていたので「ああ、あれか」と思い出したのです。

「だんご」のリリース情報が手元に届いたのは数日前の事でした。一月の下旬ぐらいだったかと。こっちは「はぁ~?だんご?」という具合で、さっぱりわからない

数日後の休みの日に、運よくテレビで「だんご」を見ることができました。CMクリエイターの佐藤雅彦による映像は子供にも大人にもツボで、何よりも娘がそれを食い入るように見ている。「もういちどみたい」とせがんでくる。直感的に「これは化けるぞ」と思ったのです。

最終的に予約の動きも睨みながら初回仕入れ枚数を250枚にしました。これってB’zとかKinki Kidsのシングル並みの数字です。

それが発売から3日でパンクしました。

CDは発売日の前日に入荷し、午後にはお店に並ぶものです。3月2日の発売初日、社長の「不景気な時にはヘンな曲が売れるものや」というアドバイスを受けて、さらに370枚のバックオーダーを細かくかけていたので、何とか品切れも短時間で済んだのでした。

そして3月10日には宇多田ヒカルの「First Love」がリリースされます。

(当時の彼女は15歳)
こちらは初回注文枚数750枚という前代未聞の仕入れを行ったのですが、発売初日(3月9日)から連日200枚が売れ続けて、その勢いが止まらない。

しかも「ありますか?」という電話がガンガンかかってくる。
もうこうなると恐怖ですね。

お客さんが「First Love」を持ってズラリとレジに行列を作る光景、PC画面に25件ずつ表示される「売上履歴」がすべて「ウタダヒカル – First Love」だったのが、いまだに忘れられません。

お店ではCD卸のライラック商事さんから仕入れをしていたのですが、運が良いことに親しい社員さんで京都太秦から東大阪の物流倉庫まで通勤していた人がいる。

その方にSOSを連絡したら「帰りに持ってゆきます!」。

この方、倉庫に入荷したばかりの宇多田の「100枚箱(メーカーから出荷された状態のCD100枚入りの箱)」を担いで、東大阪から近鉄→御堂筋→阪急→京福電鉄と乗り継いで届けてくれたのですから「神様」でした。

全国的には品薄でしたからよく強奪されなかったなと思います。

さて、ようやく「だんご」と「First Love」の物流が安定してきた3月17日。
この日は安室奈美恵のシングル「RESPECT the POWER OF LOVE」の発売日です。

ところが出勤してきたアルバイトの子が開口一番、衝撃的な事を言ってきたのです。「店長、聞いてますか?安室奈美恵のお母さんが殺されたって!」。

その時のスタッフ全員の凍り付いた表情はいまだに忘れられません。

だんごの大ヒット、宇多田の成功、そして安室の悲劇と色々な事があった月でした。

当時は知る由もなかったのですが、BUMP OF CHICKENがインディーズから「FLAME VEIN」でデビューしたのが3月18日の事でした。

いま聞くと藤原基央のボーカルはまだ不安定ですが、時代とは違う新しい音がそこにはあります。彼らが「天体観測」でブレイクするのは、この2年後の事になります。

そんな慌ただしい音楽の流れの中で、私事ですが3月26日に次女が生まれました。

出産費用の一部を「地域振興券」で支払ったのは言うまでもありません。この年、政府が経済浮揚政策として15歳以下の子供を持つ全家庭に支給した2万円の商品券のことです。

おそらくこの券がなければ「だんご」も「宇多田」もあれほど異常な売れ方はしなかったと思います。

そしてこの1999年3月が日本のCD業界の最後のピークとなりました。
それは線香花火が最後に一瞬大きく輝くのに似ていたと思います。

以降、日本のCD産業は急激に縮小していたったのです。

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