ミューズポートスタッフのたわごと

こんにちは、ボスのムネです。
唐突な質問ですが、皆さんはどんな「音楽」でできていますか?

大好きな音楽、一番刺激を受ける音楽、人生を励まされる音楽、そして生き様から学ぶことの大きいミュージシャン。
大小はあるでしょうけど、そうした音楽を通して、自分が成長してゆく部分ってあると思うのです。

普段テレビでバカなことばかりやっていたムッシュからは想像できないかもしれませんが、彼は「キャリア」といい「才能」といい、日本の音楽史の中では数少ない「巨人」と言える存在でした。そして、自分にとって、ムッシュはThe WhoのPete Townshendと並んで、自分を形づくった大切な「音楽」でした。
「でした」と過去形で書くのは本当に辛いことです。

今はムッシュについて何を書いていいのかわからない…まあ書くのでしょうけど、彼の功績、いや航跡に関しては個人ブログ「上大岡的音楽生活」の方でじっくり書いてみようと思います。

さて、東日本大震災の直後、芸能人によるチャリティーオークションでムッシュのギターアンプが出品されました。
ブリティシュ大好きの彼が好んで愛用していたVOXのアンプでした。ダメモトで落札価格の上限を入れておいたら、あっさり落札してしまいました。
AC30/6TBという型番です。
わかる人しかわかりませんが、モノホンのアルニコブルーのスピーカーを内蔵しています。

僕には3つの気持ちがありました。
震災直後のことです、チャリティーオークションですから、被災地にお役に立てればいいというムッシュの気持ちに共感し、それはまた自分の気持ちでもあったことは言うまでもありません。

第二にムッシュの音楽人生そのものに対する敬意です。進駐軍ジャズ→カントリー・ウェスタン→ロカビリー→GS→フォーク→70’sニューロックやソウルにまで至る遍歴はJ-RockやJ-Popの歴史そのものでした。彼のデビューは1960年、これはディランやビートルズ、そして北島三郎のデビューよりも前の話なのです。

それにもかかわらず、ムッシュには大御所然とした所がありませんでした。
若手の無名ロックバンドとコラボするなんてことは日常茶飯事だったし、それどころかアマチュアバンドと意気投合して普通にそこらのライブハウスで演奏していたぐらいです。

ムッシュとコラボしたアマチュアバンドの方に聞いた話です。
「フラっとタクシーでハコにやってくる。イベントが終わってギャラを渡すと、”飲みに行こうよ”と言う。そして清算となると”いいよいいよ、今日は気分いいから俺払う”と言ってギャラ以上に全部払ってくれる。あんな人見たことない」。

彼にとっては地位や名誉や賞賛よりも「楽しく音楽ができる」ということが何よりも大切だったんです。ミュージシャンの中には中途半端なプロ(元プロ?)みたいな立ち位置でも大御所然としている人もいれば、こういう人もいるのだなということですね。

彼は様々なジャンルの音楽のありとあらゆるスタイルが、コード進行に至るまで見えてしまうんです。そしてそれを巧妙に(そうとわからなぬ位のレベルで)自分の音楽にしちゃう。ある意味ズルい人でした。

「売れる音楽書け」と言えばあっさり売れる音楽を書くし「好きな音楽をやっていい」と言われれば、全く異なる好きな音をプレイできる。屈託のない変幻自在さ、柔軟性という意味では、今のどんな若手ミュージシャンよりも視野が広くて頭の柔らかい人だったと思います。

そしてもうひとつ。ムッシュのお父さんであるティーブ・釜萢は、日本で最初のボーカルスクールである「日本ジャズ学校」を創立された方でした。彼は日系二世のジャズミュージシャンとして、戦前から日本で活躍しました。ディーブさん自身はジャズの王道のようなボーカリストではなく、朴訥なボーカルでした(本来はトランペッター)。でもディーブのボーカルには本当にいい味があります。逆に言えば、画一的ではなく、その人その人の個性を見事に引き出して歌わせてゆくということを、とても考えていたのだと思います。

VOXのアンプはこうした経験、記憶、精神といったものを押し込んだムッシュの「遺品」となってしまいました。

でもこの教室の「音楽」の一部はこうしたものでできているんです。
そして、これからもその「音楽」は生き続けてゆくことでしょう。


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